ここ一年ほどで習慣になったこと、習慣にしたかったけどならなかったことを挙げてみる。
習慣になったこと
毎朝仕事を始める前にストレッチと筋トレをやっている。これはもう一年以上続いてると思う。習慣と呼んでいいのではないか。
ストレッチは YouTube で見つけた軽めのものをやっている。途中、180度の開脚を目指して Android のストレッチアプリに切り替えたこともあったが、一回のストレッチにかかる時間が長かったのでやめた。ちなみに 60 日ほど続けたけど、始めた当初から比べても開脚の幅が広がったとはあまり感じなかった。 ストレッチの効果はあるのかと言われると、分からない。少なくとも体が柔らかくなったと感じていない。
筋トレは NHK の筋肉体操を毎日 1 メニューやっている。シーズン 1 の腕立て伏せからシーズン 3 の背筋までの合計 12 メニューに、サーキットメニューを加えた合計 13 メニューを順繰りやっている。 気が向いたときに準備が楽なスクワットを増やしてみたり、休みの日にサーキットメニューを複数回やってみたりしていたけど、今は 1 メニュー/日に落ち着いている。 筋トレの効果はあるのかと言われると、これも分からない。少なくともマッチョになった感じはない。(食いすぎで)体重は増えているが、体型は大きく崩れていないので、そういうところで効果が出ているのかもしれない。
歯磨き後のフロスを欠かさずやるようになった。ちょうど去年の今頃から歯医者に定期的に通うようになった。ご多分にもれず歯周病持ちで、フロスを勧められ、それ以来やっている(サボる日もあるが)。 フロスをしたあと冷たい水でうがいをするのがなんとも気持ちいい。
毎日の作業記録を手元のテキストファイルに書くようにしていて、これも習慣化している。毎日のやること、やったこと、やれなかったこと、明日以降に持ち越すことを、日単位のセクションに区切って箇条書きで書いている。 いわゆる TODO 管理ツールは使わず、これだけで済ませている。他人と共有するべきタスクやメモは、他の然るべき場所(GitHub Issue など)に書いておいて、重要なものだけ手元のテキストファイルにそのポインタを書くようにしている。
習慣にならなかったこと
すでに忘却の彼方へ旅立ってしまったことがたくさんあると思うが、思い出せる範囲で。
毎朝猫のトイレ掃除をやろうと一時期がんばったが、習慣にはならなかった。今はにおいが気になったタイミングや、ゴミ捨ての日などで適当にやっている。やるたびに、面倒くさいなぁと思ってしまう。猫ちゃん、すまん。
昼休みに本を読もうとしたが、習慣にはならなかった。一時的に面白い本を読んでいて、続きが気になってしょうがないような状態になるときは、読んだりもする。習慣ではないが、そのときの感情にまかせている感じ。読みたきゃ読む。
サイトの更新も習慣にはならなかった。過去形にするにはちょっと最近すぎるかもしれないな。習慣になっていない、とするべきか。気がついたときには前回の更新からずいぶん時間が経っていることが多い。
ランニングは習慣になったりならなかったりする。今は走っていない。半年ぐらい続けて走ることもある。コロナ禍を経て気づいたのだけど、マラソン大会への出場が思いの外ランニングに対するモチベーションになっていたようだ。 マラソン大会へ出場できない期間が長く続き、走る気も失せてしまった。また大会にエントリーすれば、走り始めるのだろう。でも大会駆動で走るのって、習慣とは呼べない気がするなぁ。
習慣になったこととならなかったことの違い
当たり前かもしれないけど、自分が必要と感じているかどうかに尽きると思う。
必要だと思うことは自ずとやる。
ストレッチも筋トレも、運動不足を懸念して、最低でもこれぐらいはやっとかないとヤバイだろ、好きなもの食えなくなっちゃうだろ、という危機感から必要性を感じている。 フロスも同じような理由。今メンテナンスを怠ると、将来好きなもの食えなくなっちゃうし、歯を失ってしまうかもしれないという危機感。 どれもやらなければいけないと感じているから、習慣化している。
習慣にならなかったことは、なくてもいいと思っていることなのだろう。やったほうがいいとは思っているが、やらなくてもなんとかなる。そういうものは、少なくとも自分にとっては、習慣化しづらいようだ。
習慣化したければ、必要性を見出すことなんだろうな。必要性を見出して「これは必要なことなんだ!」自分に暗示をかけつつ続けていれば、そのうちに習慣化していくのかもしれない。